両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

寄稿S5Give me a break

Give me a break!その五

気弱なジャーナリスト・Masaくんのつぶやき

Masa 師走はボーナスの季節です。ボクの場合、「親子断絶」をテーマとした仕事に没頭し、本業がおろそかになっているため、多くは望めませんでした。遠方へ出張しても旅費、宿泊費、接待費は自腹。クラウドファンディングとやらをお願いしたい気分です。
話は変わりますが、ボクはこれまでの人生で精神的に大パニックになり、周囲に大迷惑をかけてしまったことがあります。悪夢を見て恐怖で跳び起き、汗びっしょりになって我に返ったことも1度や2度ではありません。うん、うん、オレもそうだという人がいるなら、親友になれそうな気がします。
 
もやもやとした気持ちを消し去るため、日課にしているのが早朝のウオーキングです。宮根の住宅・商店街を巡るコース、または平和公園内の周回コースを軽く30分ほど。平和公園は墓碑が立ち並ぶ丘陵地帯で、「桜のころ靖国で会おう」と散った英霊たちも眠っています。どうでもいいことですが、この公園で何度か霊的体験をしたことがあります。
 
おしゃれな小型の洋犬と散歩している富裕層の方々が多い中、その霊園で毎回のように見かける夫婦とみられるみすぼらしい(失礼)年配(?)の男女がいます。白、茶、三毛といろんな子猫、親猫に餌を与えているのです。近くには「餌をあげないで」という看板が立っています。
ある寒い朝は全身黒色の大きな猫でした。マスクにジャンパー姿の男女は「クロ、クロ」と呼びかけ、餌をやっていました。ボクが通り過ぎる際、そのクロは金色の両目でこちらをギラリとにらみました。
もし、仮に野良猫たちが突如姿を消したら、この2人の朝はどうなるのか、と一瞬考えました。執着するものを失い、実子連れ去りによって引き離された親と同じように、悲しみで胸が裂ける思いがするのではないか、と。
 
ブッダの教えは色・受・想・行・識すべてが「空」であり、執着が煩悩を生むと説きますが、何かに依存しないと生きていけないのがフツー一般の人間というものです。依存する先が我が子であったり、酒であったり、ギャンブルであったり、異性であったり、クスリであったり、娯楽であったり、さらにはペットであったりするのでしょう。幸いなことに大乗仏教は釈迦の時代の教えを「錯覚である」と否定し、それを超越するようなもう一つ高次元の理を示しました。
なぜ親子断絶問題に執着しているのか、自分でもよく分かりませんが、それはそれでよし。さらにもう1つくらい別テーマをライフワークにしても罰則規定はないだろう、と考えながら足を速めました。(SeasonⅡ終わり、SeasonⅢを年明け2月から始める予定です)

Season2-B

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更新 2021-12-30 (木) 07:50:48
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