両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和2年8月23日、AERAdot.

親による「連れ去り」の当事者が語る 片親から引き離れた現実と共同親権議論の“問題点”

 今、別居に際して一方の親が子どもを“連れ去る”行為が問題となっている。国内では14人の原告による国への集団訴訟に発展し、EUからは「子どもへの虐待だ」として対日決議が出されるなど、国内外で波紋を呼んでいる。本サイトでも「親による『子の連れ去り』が集団訴訟に発展 海外からは“虐待”と非難される実態とは」の記事で取り上げた。問題の根は深く、一方の親が「これは連れ去りで、実子誘拐だ」といえば、もう片方の親は「DVを受けていた。逃れるために仕方なかった」など、通常は親同士が激しく主張をぶつけ合っている。では、当の「子ども」はどう感じているのだろうか。自らを「連れ去りの当事者だった」と語る男性に話を聞いた。

*  *  *

 家庭裁判所が親権者や監護者、または面会交流について決める際、最優先に考えるのは「子の福祉」だとされている。2012年には民法が改正され、「子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない(766条1項)」と定められた。つまり、子の監護者は、親の都合や感情ではなく、子の福祉(利益)を最優先に考えられる人物であることが法的にも求められている。これまでの“連れ去り”をめぐる裁判でも「子の福祉」は大きなテーマとなってきた。

 では、実際の「子」の立場からは、突然に一方の親と会えなくなる現実はどう映っているのだろうか。

 都内に住む30代男性・Aさんは小学6年の3月に、母親から突然こう言われた。

「中学の制服は買わなくていい。みんなと同じ中学には行けないからね」

 当時、Aさんは生まれ育った北陸地方に家族で住んでいた。当然のように友達と一緒に地元の中学に行くものだと思っていたので面食らったという。理由を聞くと、

「お父さんはもう帰ってこない。違う町に引っ越すから。お前もついて来なきゃいけない」

 母親のこの言葉にますます混乱した。確かに、単身赴任中だった父親があまり帰ってこなくなったとは感じていたが、なぜいきなり引っ越すのか。父が帰ってこないのなら、どこに行って、誰と住むことになるのか。Aさんは理解ができずに「何で?」と繰り返した。すると、母親は激高してこう言ったという。

「もし来ないなら、お前を警察に突き出すからな! そうしたら牢屋に入れられるぞ!」

 まだ12歳だったAさんは母親の言葉が現実になるのではないかとおびえ、母親に付いていくことに決めたという。というより、まだ1人で生きていく術を持たないAさんは、母親に従うしかなかった。

 一方で、父親に会えなくなることには納得できなかった。単身赴任で九州の大学に勤めていた父親は、博学でいろいろな話をしてくれた。おおらかで包容力のある父親がAさんは大好きだったという。両親がけんかをしている記憶もほとんどなく、なぜ突然父親に会えなくなるのか、まったく理解できなかった。

「子の意思とは関係なく、母の都合だけで父と会えなくなり、環境が一変してしまう。僕は、今問題になっている『連れ去り』の当事者だったのだと、後で気づきました」(Aさん)

 Aさんは3歳下の弟を連れて母親と一緒に関東地方に移住することになった。待っていたのは「新しい家族」だった。

 義父となる男性にはAさんより年上の姉弟の子どもがいた。義父、実母、義姉、義兄、実弟、Aさんの6人がいきなりひとつ屋根の下で暮らすことになった。そんな状況で心を開けるわけもなく、Aさんは「新しい家族」を避けながら生活していたという。

「基本的に義父とは一言も話さずに生活していたし、義兄もすでに大学生で年が離れていたので関係は希薄でした。義父の方針で家族全員で夕食を取ることは決められていましたが、無言の食卓でしたね。家に居場所はありませんでした」(Aさん)

 ほどなくして、夫婦関係も破綻し始める。同居から4カ月後には、義父と実母が頻繁に言い争うようになり、義父は手当たり次第にモノを投げて暴れ始めた。気の強い実母が義父に抗議をすると、今度は手を出して殴る。それをAさんがとがめると、義父はAさんのことも殴った。

「もちろん義父のことは嫌でしたが、無理やりこんな家に連れてきた母にも嫌悪感があったので、僕はどちらの味方もしませんでした。でも、けんかを止めないと安心して寝られないし、命に関わる場面もあったので、仲裁役に回ることにしました。双方の主張を聞くと、けんかの原因は僕の養育費だとわかったのです」(Aさん)

 夫婦げんかではAさんが“伝達役”にされた。義父から呼ばれると「お前にいくら金がかかると思っているんだ。もう出せる金など1円もないと(実母に)言っておけ!」と言われる。それを実母に伝えにいくと「そんなお金でやっていけるわけないでしょ! 養育費だってそんなにもらってないのに」と反論される。Aさんは義父と実母の両方から「お前のせいだ」と言われているように感じたという。

「居場所どころか、自分の存在価値まで否定された気持ちでした。僕は望んで母についてきたわけじゃないのに、なんでこんな目にあわなきゃいけないのかと。毎日が地獄のようでした」(Aさん)

 そして同居から10カ月がたった中学1年の冬、またしても家を出ることになった。ある日、母親から段ボールを渡されて「大事なものを入れろ」と命じられた。訳もわからずに段ボールに詰めると、それを運送会社に持っていかれ、そこで母親からは「もうここには戻らないから」と告げられたという。だが、せっかく新しい中学校の生活に慣れてきた時期に再び何の相談もされずに引っ越しをさせられることに、Aさんは強く反発した。親の都合で何度も環境を変えられることに、心底うんざりしていたという。

「自分は1人になっても中学1年の終業式には出る、と強硬に母に主張しました。それだけは納得してくれたようで、終業式までの3カ月間は家族3人で4畳一間の旅館のようなところを転々として、そこから学校に通いました。『最寄り駅だと義父に見つかる』と言うので、学校から離れた駅の宿に泊まって、午前4時に起きて通学していました」(Aさん)

 念願の終業式に出たAさんは、中学2年の春に再び北陸地方に戻り、祖母と4人で暮らすことになった。そこから地元の高校、東京の大学へと進学した。母親は専業主婦だったので、学費は高校は祖母が、大学は離れて暮らす実兄が用立てしてくれたという。

 そして社会人になった27歳のとき。ついに実父と会う機会を得た。ネットで名前を検索すると、タウン誌に同姓同名が掲載されていることがわかった。実兄の妻が連絡を取ったところ、本人であることがわかり、再会が実現したという。その時の様子をAさんはこう振り返る。

「両親は、僕が10歳のときにはすでに離婚が成立していたみたいです。でも、父は『子どものことは忘れたことはない』と言って、小さい頃の写真も持ってきてくれました。僕は平静を装っていましたが、泣きそうなくらいうれしかった。離婚の原因は、母の実家との確執であることもわかりました。実は弟には知的障害があるのですが、そうした子が生まれたのは父の家系のせいだと、祖母からずっと責められ続けていたようです。閉鎖的な土地柄なので、このまま一緒にいたら子どもたちにも悪い影響が及ぶかもしれないと離婚を決意したと。僕は母から『お父さんは浮気をした』と聞かされていたので驚きました。父もすでに新しい家庭を築いていて、僕にとっては妹になる女の子もいる。義母もすごくよくしてくれて、1年に1度は父の家に遊びにいく関係になりました」(Aさん)

 その一方で、実父に会いにいったことを知った母親は激怒したという。「二度とこっち(北陸地方)には帰ってくるな!」「おまえは家に入れない!」と罵倒された。だが、すでに自立しているAさんは「母も子どもの気持ちを引き留めたくて必死なんだと思います」と語るように、親と距離を置いて関係性を考えられるようになった。

 Aさんは自身の経験を踏まえて、共同親権をめぐる今の動きに対してこう話す。

「僕は共同親権の導入には賛成の立場です。一度目は同意のない『連れ去り』だと思っていて、結果的にDVまで受けることになった。二度目はDVから子どもを守るための『連れ去り』に近いと思いますが、僕の同意なく環境を変えられたことには変わりありません。何よりも15年以上も一方的に父との関係を遮断されたことは、精神的な虐待でさえあると思っています。子どもの同意なく『連れ去る』ことは心理的な虐待につながることもわかってほしいです。ただ、今の共同親権の論争については、推進派も反対派も政治闘争になっている側面があり、本質的な『子の視点』からずれてしまっているように感じます。先の集団訴訟は世間の関心を喚起するアクションだとは思いますが、子が巻き込まれる過酷な現状にまで目が向いていないのは残念です。議論から子どもを切り離さず、親からの視点ではない、本質的な『子の福祉』を考えてほしいと思っています」

 壮絶な体験をしながらも、今の共同親権の議論にも問題提起をするAさん。「賛成派」「反対派」という立場で議論を分断すべきでない、というAさんの言葉はとても重い。(取材・文=AERAdot.編集部・作田裕史)

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