両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

現状と課題

子どもの連れ去りにより

●愛する我が子を連れ去られた瞬間に実質的に親権を失ってしまい、そのまま子どもと引き離され、子どもと再会するのに長期間を要する現実があります。
●先に連れ去った親が絶対的に有利となる司法の運用があり、先に子どもを連れ去ることをクライアントに推奨する弁護士も多数存在します。女性の社会進出も進む中で、父親だけでなく母親も子どもを連れ去られるケースが続出しています。
※当連絡会の当事者の約25%は母親です。
●子どもを連れ去られた親に監護権が認められるケースは殆どありません。
●DVの事実や子どもへの虐待がなくても、子どもを連れ去られた親は子どもと再会することが難しくなります。

限定的な面会交流

●面会交流を裁判所に求めても、1ヶ月~数か月に1回会えるごく僅かな程度しか認められず、まるで犯罪者の様な扱いを受ける有様です。同居親が要望するだけで監視付面会交流を強いられるケースも非常に多くなっています。
●引き離されている間に、自分の悪口を我が子に吹き込まれ、親子の関係が粉々に壊されてしまうケースも多数あります。
●僅かな親子交流で、同居していた頃の良好だった親子の関係を何とか少しずつ取り戻せても、子どもは別居親と二人きりの時にだけ愛情を示せ、他の人が同席の時は愛情を示してはならないと、別居親と子どもの間の愛情は二人だけの秘密ということも多くあります。
●子どもの入学式・入園式、誕生日等、人生の節目を一緒に祝ってあげることも出来ません。我が子に愛情を届けてあげることが出来ません。子ども(孫)と祖父母との関係も絶たれてしまいます。
● 親子交流の支援機関も少なく、月1回以上は支援しないという方針の支援機関もあります。同居親が支援機関を通じてでなければ、子どもに会わせないと主張すれば、それに従うしか無いのにも関わらず。

悲しい連鎖

●愛する我が子と断絶され、司法の場では勝手に子どもに会いに行くなと言われ、学校・幼稚園・保育園では保護者ではないと言われ、悲しみのあまり鬱病等を発症し、仕事にも悪影響を与え、生活そのものも崩れ始め、我が子という生きがいを失い、悲しみの挙句自殺する当事者も後を絶ちません。自殺により子どもを失った両親(祖父母)は、孫に面会交流を求めても裁判所では、相手にさえされません。生きている間に、我が子の血を継ぐ孫に会いたいという願いすら適わないのです。
●監護権争いで勝利を確実にするために、弱い立場にある子どもは、同居親から別居親の悪口を吹き込まれ、それを信じ、アイデンティティーは傷付けられ、自己肯定感を喪失してしまいます。不幸にして交通事故や病気で片親を亡くしてしまった場合に、その様なことがあるでしょうか。
●ひとり親家庭では孤立も生じ、多数の児童虐待死が後を絶ちません。裁判所が関わっていたケースでありながら、実際に私たちのメンバーの子どもも同居親に殺されてしまったこともあります。別居親が頻繁かつ継続的に子どもに会えていたのであれば、子どもは殺されずに済んだのではないのでしょうか?
● 養育費もいらないので、子どもに一切会わせないということも多数ある様です。貧困とは金銭的なことだけでしょうか?片方の親の愛情を受けられない子の悲しみに目を向けてください。

司法は機能しているか

●片方の親から親権や監護権を奪い、先進諸国では殆ど見られない離婚後の単独親権制度は、両親を争わせる異常な仕組みとなっています。子の最善の利益とは何かは示されぬまま、監護の継続性という連れ去り後の現状維持がほぼ確実に優先されます。
●子を連れ去った理由は、DVですと主張することも横行していますが、証拠提出は伴わず、DVなどしていないと立証することに長期化してしまい、DVが争点でなくなった時には監護の継続性は完成しています。
●民法改正により目指した社会とは、司法によって歪められているのではないでしょうか?
● 国内の連れ去りを結果として積極的に容認し、ハーグ条約とダブルスタンダードになっています。

アクセス数
総計:15331 今日:5 昨日:4

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional