両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和4年5月19日、モラロジー道徳教育財団

髙橋史朗68 – 国連が勧告した日本の「実子連れ去り」-家族の絆を取り戻す法改正の緊急課題

髙橋史朗 モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授

欧州議会本会議対日非難決議「日本は子供の拉致国家」
 櫻井よしこ「『家族』壊す保守政治家」(産経新聞令和3年7月6日付)によれば、毎年15万から16万人の子供が片方の親に連れ去られたり、片方の親から切り離される悲劇が起きているという。令和2年7月、欧州本会議は「日本は子供の拉致国家」であるとして、次のような日本における子供の連れ去りに関する非難決議を圧倒的多数で可決した。

「日本が子供の連れ去り案件に対し国際規約を遵守していないと遺憾を示すとともに、ハーグ条約の下で子供の送還が効果的に執行されるように国内法制度を改正するよう促す。……日本当局に対し、共同親権の可能性に向けた国内法令改正を促す」

 父親も育児に積極的に参画し共同して監護する「家庭における男女共同参画」が推進されている中で、離婚という夫婦間の事情で親権(母親が9割以上取得している)を一方の親から奪い、一方の親を子育てから排除する社会制度や慣行は、男女のどちらか一方を不利にする状況をもたらし、男女共同参画の趣旨に反する。

 また、養育費の義務化のみをことさらに主張して「共同養育」を軽視し、共同親権に反対する主張を一部の女性団体などがしているが、これは「男性は仕事だけしてお金だけ出せばよい」という、男女共同参画の理念に反する差別意識が背景にある。

 このような歪んだ「逆差別」意識を解消していく必要がある。男性をATMのように扱う主張は明らかな人権侵害であり、このような考え方が男性差別であるという認識を社会に広く浸透させる必要があろう。

 日本大学の先崎彰容教授は、「リベラルVS保守の立場を超えて、あまりにも単純な男女観、父母観から抜け出さねばならない」「男女平等とは何か」「家族とは何か」こそが問われていると次のように訴えているが、核心を突いた指摘といえる。

 第一に、子供たちは母親を愛するのと同様に、父親を愛する権利をもっている。ところが、私たちは母親が女性というだけの理由で、養育するのを「常識」にしている。だがこれは究極の男女不平等ではないか。

 また、男女の機会均等や不平等をめぐる議論は、圧倒的に「女性の権利が奪われている」という図式でなされる。それが逆転した男女差別が、この「単独親権」なのである。夫=男性=親権不適格者という「図式」だけでは解決が不可能になったのだ。リベラルな立場の人たちは究極の男女平等を追求するために、ぜひとも父母双方に子供と交流する機会を!と訴えてほしい。

 第二に、夫が男というだけで養育の権利を奪われ、「家族」が解体してしまうことが問題である。家庭裁判所の現場でも、未だに「単独親権」、つまり母親の権利だけが重視されている。裁判官までもが女性=親権を持つべきだという男女観、無意識の「常識」に取り込まれている。
(産経新聞、令和元年9月16日付「正論」、「司法は『家族』を取り戻せるか」)

左派団体に不都合な国連勧告を無視
「こども基本法」が浮上した背景には、過去5回、国連の児童の権利委員会(CRC)から日本政府に出された国連勧告がある。日本の左派NGOや日教組、日本弁護士連合会などが強調している国連勧告の中に、彼らにとって都合の悪い勧告が含まれている。児童相談所を中心とした「社会的養護」利権にかかわる問題である。

 まず、この問題に関する2019年3月の国連勧告(日本の第4、5回合併定期報告書に関する総括所見)を抜粋しよう。

<家族環境>
「家族を支援し、強化すること」「子供の遺棄および施設措置を予防する」「親との個人的関係および直接の交流を維持する子供の権利が定期的に行使できることを保障する」

<家庭環境を奪われた子供たち>
⑴ 多数の子供たちが家族から引きはがされているとの報告があり、その引きはがしは司法令状のないままですることができ、しかも児童相談所に最大2ヶ月収容されることになること
⑵ 多数の子供たちが、不適切な水準にあり、児童虐待の事案が報告されており、しかも外部による監督と評価の機構がない施設に依然として収容されていること
⑶ 児童相談所がより多くの児童を受け入れることに対する強力な金銭的インセンティブを有する疑惑があること
⑷ 施設措置された子供たちが、その生みの親との接触を維持する権利をはく奪されていること(以下、略)

<子供の代替的養護に関する指針(国連総会決議)に対する強い要求>
⑴ 子供が家族から引きはがされるべきか否かの決定に際して、義務的司法審査を導入し、子供の引きはがしについて明確な基準を設定し、そして子供たちを親から引き離すのは、それを保護するため必要で子供の最善の利益にかなっている時に、子供とその親を聴聞したあと、最後の手段としてのみなされるのを保障すること
⑵ 子供の速やかな脱施設化および里親機関の設置を保障すること
⑶ 児童相談所において子供たちを一時保護するやり方を廃止すること(以下、略)

 このような国連勧告が出された背景には、「児童被害を撲滅する会」など、児童相談所に家族を破壊された被害団体が国連の同委員会に2回提出したレポートが影響を与えたものと思われる。左派団体は国連勧告を自分たちの主張を正当化するために利用し、このような児童相談所の家族破壊に関する国連児童の権利委員会の事実認定と勧告が出ると、児童相談所の拡大・強化を支持する日教組や日弁連などは、従来の国連に対する態度を、手のひらを返したように無視する戦術を展開している。

 児童の権利条約第18条には、「締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法廷保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する」と明記されている。

家族破壊による「子供の商品化」
 児童相談所は、軽微な冤罪「虐待」事案を口実に家族から切り離した子供たちを、児童養護施設などの「社会的養護」施設に流し込むが、虐待死のような凶悪事案は一向に根絶されない。児童養護施設に強制入所された子供たちには、児童虐待防止法第12条によって面会禁止処分が加えられることもあり、子供は家族から断絶され「人工孤児」となる。

 これにより、社会的養護を提供する児童養護施設などの利益集団が、家族から切り離された子供たちを使って経済的利益をむさぼっているのである。一方、子供たちは、児童養護施設職員による性的暴行に晒されている。「子供の最善の利益」の保障が求められている児童養護施設が利権のとりことなって、家族破壊による「子供の商品化」に拍車がかかっているのである。

 もともと、児童福祉法の下で利権化した児童養護施設の業界は、戦争孤児が成人した後、空きベッドを埋めるため「子供よこせ」運動を展開していた。児童相談所はもともと敗戦直後に戦争孤児をケアするためにできた行政機関で、戦争孤児が成人するとともにその本来の機能を失った。しかし、その後も存続し、経済の高度成長期には不登校児など細々と扱っていたが、1980年代冒頭の臨調行革の中でリストラの嵐に翻弄された。

 そこで、厚生省が「児童虐待」に着目し、これを児童相談所に担当させることにして、息を吹き返した。戦争孤児時代の児童福祉法第33条をそのまま使い、児童の権利条約第9条1項には以下のように書かれているにもかかわらず、この条項に違反して、軽微な冤罪の「虐待」事案で、家族から子供を引きはがし拉致を強行し、これによって全国で家族破壊が広がっている。

「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りではない。このような決定は、父母が児童を虐待し若しくは放置する場合又は父母が別居しており児童の居住地を決定しなければならない場合のような特定の場合において必要となることがある」

国連も指摘した「拉致ノルマ」という「社会的養護」利権
 児童相談所の「一時保護所」では、子供たちを学校に通わせず、性的暴行、向精神薬投与など数々の人権侵害が横行し、そのため国連児童の権利委員会から前述したように閉鎖勧告が出されたのである。児童相談所の年間予算には「一時保護見込み数」(児相被害者は「拉致ノルマ」と呼んでいる)が組み込まれており、予算額を達成できるだけの数の児童を家族から引き離す経済的インセンティブ(人々の意思決定や行動を変化させるような要因)を持つことは国連児童権利委員会も指摘し、厚労省の専門官も同委員会の答弁で認めている。

 児童相談所に「拉致」された後、多くの場合、子供たちは児童養護施設に送り込まれ、家族破壊が長期化し、子供が「家に帰りたい」と訴えても帰さない。その意味で、児童相談所は「社会的養護」利権への「取児口」(水岡不二雄・南出喜久治『児相利権:「子ども虐待防止」の名でなされる児童相談所の人権蹂躙と国民統制』八翔社、参照)の機能を果たしている。

 それ故に、水岡不二雄一橋大名誉教授は、児童相談所は増設ではなく廃止し、刑法犯罪に類する凶悪虐待事案は警察に移管すべきだと言う。児童相談所から「一時保護」の権限を奪い、純粋な育児支援機関に衣替えしないと、子育てをする家族は、わが子が奪われるのが怖くて行政の子育てサービスを利用できなくなると水岡名誉教授は警告する。

 数値比較で日本の「社会的養護」が遅れていると批判する人々は、日本の制度自体が著しく国際人権規範から立ち遅れている現実を決して見ようとはしない。この現実を厳しく批判した国連勧告を無視する背景には「社会的養護」利権への忖度があることは明白である。

「懲戒権」削除の民法改正と「教育虐待」の浸透が教育荒廃に拍車をかける
 自民党の24条改憲案には、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」と明記されており、高市早苗政調会長が構想する「家族基本法」の制定こそ喫緊の課題といえる。実親養育中心主義を明確に規定し、児童相談所が家族に介入し、子供を連れ去り「親子の絆」を蹂躙している現状を改革しなければならない。

 1月5日の新聞報道によれば、「親が子を戒めることを認める民法の『懲戒権』の規定の見直しを議論する法務大臣の諮問機関である法制審議会の担当部会は、同規定を削除し、体罰の禁止を明示する規定を盛り込む方針を固めた」という。この民法改正案は通常国会に提出され成立する見通しであるが、これによって親が子供をしつけることの法的根拠がなくなることになる。これまで民法の「懲戒権」は、児童相談所による野放図な子供の拉致や家族破壊の歯止めとして機能してきたが、「懲戒権」がなくなれば、少しでも子供に厳しいことを言うと、直ちに家族が切り離されて児童相談所に連れて行かれ、さらに児童養護施設に送り込まれてしまう現実的危険が生じる。

 親による過剰な責や受験圧力などは「心理的虐待」と見做され、2020年に警察が児童虐待の疑いで児童相談所に通告した子供約1万千人のうち、約7万8千人を「心理的虐待」が占めている。こども庁・子ども基本法論議をリードしてきた早稲田大学の喜多明人名誉教授は、こうした家庭における「心理的虐待」と学校における精神的暴力を一つのつながりのある事象と捉え、「エデュケーショナル(教育的)ハラスメント」(略称・エデュハラ)として捉える新たな視点を提唱している。

 こうした「教育虐待」という新たな視点から家庭と学校における指導や躾る権利(親権)に歯止めをかけ、子供の意見を尊重するという大義名分によって「反差別的取り扱い」として、法的措置を含めた対立を持ち込もうとしているのである。「子供の最善の利益」の名の下に、児童の権利条約が認めている父母の教育権や養育責任が否定されれば、教育荒廃にますます拍車がかかることは火を見るより明らかである。

 最後に、5月17日の参議院法務委員会で嘉田由紀子議員(元滋賀県知事)が「離婚後の子供の養育の在り方」に関する法制審議会家族法部会が今夏に提出予定の中間試案は「親子関係を根底から覆す恐れがある」として、⑴性別による役割分担を固定化し、男女共同参画という時代のニーズに逆行、⑵EU議会の対日非難決議に見られるように国際的潮流に逆行、⑶児童の権利条約9条違反、⑷憲法第24条違反だと批判した。私も同趣旨の同試案の懸念事項を4月26日に提出しているが、紙面が尽きたので、これについては稿を改めたい。
(令和4年5月19日)

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