両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

平成28年1月28日、毎日新聞

<川崎中1殺害>父「やってあげたいこと山ほどあった…」

 川崎市の多摩川河川敷で昨年2月、中学1年、上村(うえむら)遼太さん(当時13歳)が殺害された事件で、上村さんが育った島根県の離島で暮らす父親が初めて取材に応じ「やってあげたいことが山ほどあった」と無念の思いを語った。息子の成長を楽しみにしていたという父親は、事件の真相を知るために、被害者参加制度を利用して2月2日から横浜地裁で始まるリーダー格の少年(19)=事件当時18歳=の裁判員裁判に参加し、公判を全て見届ける。【大場弘行】

 事件は2015年2月に起きた。上村さんは年上の少年3人に河川敷に連れて行かれ、川で泳がされた後にカッターナイフで首を切られるなどして殺害されたとされるが、リーダー格の少年のはっきりした動機は明らかになっていない。

 上村さんは幼いころ両親と一緒に関東地方から島根県の隠岐諸島・西ノ島に移住した。両親の離婚や家庭の事情から小学6年生の夏、母親やきょうだいと一緒に川崎市川崎区に転居し、父親は島に残った。

 人口約3000人の島で漁師をしている父親は、夕方漁に出て朝方に帰港する。約700キロ離れた川崎で暮らすようになった上村さんにスマートフォンを買い与え、時間に関係なくやり取りできるメールで「会話」をしていたという。

 年に数回上京して面会した。「会うたびに大きくなって、生意気なことを言ったり強がったり。男の子だから、そんな態度もうれしかった」。目に涙を浮かべながら思い出を語り、震える声で続けた。「小学生の遼太、中学に上がった遼太、中学2年生になった遼太。大きくなるにつれ、話せることが違ってくる。やってあげたいことも山ほどあった。後悔はものすごくある」

 事件の真相を知るために、父親は被害者参加制度を利用し、傍聴人としてではなく、当事者として裁判に参加することを決めた。2月2日から3日連続で開かれる公判に出廷し、意見陳述もするつもりだ。「遼太のことを思い出すとつらくて(陳述書を)すぐに書き上げることができない。少しずつ、書き足している」。そう語る表情に、上村さんの面影が重なった。

 島の人たちは離婚や息子の死を経験しながら、ひたむきに働く父親の姿をそっと見守る。小学校の同級生ら十数人は事件後、上村さんがよく遊んでいた海水浴場に集まり、島に伝わる精霊流し「シャーラ船送り」にならって海に花を浮かべたという。

 上村さんをよく知る小学校の元PTA会長の男性はこう話した。「言葉にしなくても、島のみんなは、心の中で遼太のことを思っている」

 ◇被害者参加制度

 2008年12月に導入され、犯罪被害者や遺族が裁判所に許可された場合、刑事裁判の法廷で被告や証人に質問したり、量刑について意見を述べたりすることができる。対象事件は、殺人や傷害致死、強姦(ごうかん)、危険運転致死傷などに限られている。最高裁の14年の統計では、1227人が参加を許可された。

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