両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

平成29年5月25日、NHKマイあさラジオ

社会の見方・私の視点 を聴く「離婚後の親子の面会交流の重要性」

※音声は、こちらからお聞きできます。

大正大学心理社会学部 青木 聡 教授

社会の見方わたしの視点です。今朝のテーマは離婚後の親子の面会交流の重要性について、お話は大正大学心理社会学部教授の青木聡さんです。

今、超党派の議員連盟の間で、親子断絶防止法という法律を制定しようという動きが出てきています。

両親が離婚した後、子どもはどちらかの親と暮らすことになる訳なんですが、一緒に暮らさない親、離れて暮らしている方の親と子どもが、もっと面会したり交流したりすることを促そうという法律です。

先週は法整備を進める上での課題などについて考えてきましたが、今朝は心理学の立場から子どもの成育のために必要なことなどについて伺っていきます。

青木さん、あの、離婚したあと両親が子どもとどのように関わっていくかは子どもの成育に大きな影響を与えるそうですね。

はい、その通りです。アメリカでは1960年代から70年代にかけて離婚件数が急激に増えました。その頃から心理学の分野において膨大な数の離婚研究が行われています。その結果、離婚後の生活によく適応し、心理状態が良好な子どもは定期的な面会交流と必要十分な養育費が保護要因になっているということが実証されています。

また、離婚そのものよりも父母の衝突に晒されることが危険要因であるということが分かっています。

養育費が十分でない場合は、最近日本でも話題になっていますので生活が貧困に陥って、さまざまな困難が生じるということが理解しやすいと思います。

はい。他方、面会交流を定期的に実施しなかった場合、どうなるかというと、大きく分けて3つの結果が出ています。

一つ目は自己肯定感の低下です。自己肯定感というのは、自分に対して肯定的で好ましく思えるような自信ある態度や意識のことですが、この感覚が低いと、ひっこみ思案になって、人生に前向きに取り組めなくなります。

二つ目な基本的信頼感の低下です。基本的信頼感というのは人を信頼する力のことですが、この感覚が低いと、人間関係を築くことが苦手になります。その結果、3つ目として、社会への不適応の問題が生じます。学業成績の不振や友人関係の問題にはじまって、不登校、無気力、ひきこもり、学校中退、職場不適応、転職の繰り返し、無職、よく鬱症状、ドラッグ、アルコール依存症の割合が多くなったり、さらには世代間連鎖として、親と同じように離婚してしまう傾向が高くなることなどが報告されています。

日本でも青木さんは同じような研究をなさったんですよね。

はい。日本でも同じような傾向が見られました。別居している親と面会交流していない子どもは自己肯定感が低くなり、親和不全が高くなるという結果です。あの、親和不全というのは人とやりとりをする場合に自分の方から壁をつくって緊張して打ち解けられなかったり、深くつき合うことを恐れたりする傾向をいいます。

一方で別居している親と面会交流を続けている子どもは、両親の揃っている子どもと比較しても自己肯定感や親和不全に差がないということも明らかになりました。つまり、離婚したあと別居している親と定期的に面会交流することは基本的には子どもの成長にとって、大変重要なことだと言えると思います。

アメリカではこうした研究をふまえて、どちらの親が子どもと主に同居するかを決める時には、元夫婦としての葛藤とは切り離して、別居している親との面会交流に協力できるのか、子どもに別居している親のことを肯定的に伝えることができるのか、ということを子どもと主に同居する親を決める判断基準にしている州が多くなっています。

また、アメリカ司法省には女性に対する暴力への対策局という部署があるのですが、別居している親と子どもの関係を妨げることは情緒的虐待と明確に位置付けています。面会交流の支援は、虐待対策としての意味合いも持っている訳です。

なぜ、面会交流をするかどうかで子どもの心の成長にそこまで差が出てしまうんでしょうか?

はい。子どもは「私」というストーリーを紡ぎながら成長していきます。心理学的にいうと、「私」というのは「ストーリー」なのです。え、子どもは生活の範囲がまだ狭いので、ストーリーの大部分は家族との関連で展開します。お父さんに愛されている私、お母さんに愛されている私というふうに、まずは家族との関わりの中で私はこういうこういう人っていうアイデンティティーが作られていきます。

ところが、親が離婚してその訳も分からないまま、いきなり片方の親に会えないという状況になると、親の離婚の理由や会えない親がどうしているか、気になってしまいます。で、親に会えない喪失感の中で、なぜ親は離婚したのか、別居している親に自分はどう思われているのか、そもそも自分は生まれてきてよかったのか、と、さまざまな気持ちが渦巻くのですね。で、とりわけ年齢の小さい子どもは自分のせいで離婚したのではないか、自分が何か悪いことをしたからではないか、と自分中心に意味づけることがよく知られています。で、そのような意味づけは自己否定感にもつながってしまいます。

死別の場合は話は別です。親と死別すると、すごくつらいですし、深い悲しみに覆われますが、つらい物語としてストーリーを紡いでいける訳です。しかし、会えるのに会えない親の存在は、もやもや感が子どもの心にずっとわだかまっている状況になります。納得できる理由なく、片方の親に会えないと、両親の離婚をめぐって、私というストーリーをうまく紡げなくなるのです。

「私」の中に黒塗りになっている歴史があるような感覚になるのだと思います。しかもその黒塗りの部分に自分の人生が大きく翻弄されているという状況に置かれる訳です。

なるほど。つまり、両親の存在というのが、子どもの成育に関しては絶対といっていいほどの存在感があるということなんですね。

非常に大きい存在感ですね。

ただ、その素行に非常に問題があるような親であったとしても会うことの意味というのはあるのでしょうか?

はい。まあ虐待とかDVなどで、子どもの心身に危害が及ぶ可能性が高い場合は子どもの安全を守る為に会わせるべきではありません。しかし、そうでなければどんなにダメな親であっても、やはり会うことは大事だと思います。子どもが実際に親と会って、自分の目で見て、自分の肌で感じて、自分自信でその親についてのストーリーを紡いでいく必要があるからです。で、実際に会ってみて、どうしようもない親だっていう苦しいストーリーを抱えなければいけなくなったとしても黒塗りのままモヤモヤしているよりずっとマシな訳です。心の成長の個人差はありますが、一般的には中学生以上の子どもには会うタイミングや会い方を含めて自分で判断させた方が良いだろうとされています。

小学生以上の場合は周囲の大人がきちんと親に会えるように調整し、なぜ離婚したのか、今後どのように会っていくのか、などを説明してあげる方がよいとされています。で、乳幼児期に関しては専門家の間でも意見が分かれています。ただでさえ大変な子育ての最中に、面会交流によって同居している親の精神的負担感が増えると、子どもにマイナスの影響を与えるという説と、乳幼児期こそ、別居している親としっかりした環境を築くことがその後の子どもの心の成長を促すという説があります。

なるほど。

最近ではあの、乳幼児期からしっかりした愛着関係を築くことが重視されて宿泊の面会交流を含めてかなり頻繁な面会交流を取り決めるということが推奨されるようになってきました。それは、別居している親にとっても、親になっていくプロセスとして欠かせないと考えられています。

先ほどお話がでましたけれど、えー、暴力、いわゆるDV、家庭内暴力があった場合の対応なんですが、今年に入っても、面会交流中に元夫が元妻を殺害したり、父親が子どもと無理心中をはかったりした事件がありました。なぜ、こうした事件が起こってしまうのでしょうか?

やはり、欧米諸国と比較して、日本は離婚紛争におけるDV対策が立ち遅れているということが原因のひとつだと思います。アメリカだと、DV案件の場合、裁判所命令で、DVスクリーニングが徹底的に行われます。専門のソーシャルワーカーがいわゆる民生委員のような形で数ヶ月にわたって家族をフォローして評価していきます。で、その結果、DVで子どもの心身に危害が及ぶ可能性が高いというふうに判断されると、その程度に応じて、面会交流を一時禁止したり、あるいは厳しく制限したりします。そして加害者に対する治療的な親教育の受講とか、例えばドラッグやアルコール依存症の治療などを命じたりもします。また、監督付き面会交流といって、子どもの安全を守るために、第三者が付き沿う面会交流に制限する場合もあります。あの、日本でまだそういった制度が整理されていませんので、まあ今後、早急に全国規模で面会交流を支援する体制づくりが必要だと考えます。

で、子どもが離れて暮らす親と会えないことが多いという現実に法律や制度が対応できていない現在の状況については、一刻も早い改善が望まれます。

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