平成30年8月28日、日本経済新聞
ハーグ条約「日本は不履行」 子供連れ去り対応迫る
日本が「国際的な約束を守っていない」と批判されている。国境を越えて連れ去られた子どもの扱いを定めたハーグ条約への対応だ。人権に関わる問題で日本に瑕疵(かし)があるのだろうか。背景を調べると、日本と欧米の家族観の違いなどが浮き彫りになる。
米国務省のハーグ条約に関する2018年の報告書は初めて日本を不履行国に認定した
発端は米国務省が5月に発表したハーグ条約に関する年次報告書だ。中国、インド、ブラジル、アルゼンチンなど、アジア、中南米、中東の12カ国を名指しで「条約の不履行国」と批判した。
列挙したのはいずれも非欧米諸国だ。日本は主要7カ国(G7)で唯一、名前が挙がった。「親が裁判所の返還命令に従うのを拒んだ場合に、効果的な執行策がとられていない」と指摘された。
ハーグ条約は1983年に発効し98カ国が加盟する。一方の親が子を無断で国外に連れ去った場合に原則として元の居住国に戻す、と定める。
日本は長く未加盟だったが国際結婚が増えて状況が変わった。国際結婚した日本人女性が離婚後、海外から無断で子を連れて帰国する事態が増えたからだ。海外での離婚訴訟で親権をとられることを恐れ、日本に連れ帰るケースがある。米国などが問題視して条約加盟を迫り、日本は2014年にようやく発効した。
連れ去りがあるとハーグ条約ではまず当事国の当局(日本は外務省)間で話し合う。解決しなければ次は子が連れていかれた国の裁判所の判断だ。外務省関係者は「日本の裁判所は帰国後に子が不利益を被らないよう慎重に判断して返還命令を出している」と話す。米国務省が問題視したのは、返還命令が出ても執行に時間がかかる例だ。
なぜ命令が出ても執行できないことがあるのか。条約を実行に移す日本の国内法では、執行官が親から物理的に子を取り戻す強制執行で「子に威力を用いることはできない」と規定するためだ。日本の親や子が反対すれば執行は難しい。現行制度での子の返還には、日本側の親が同席して承認する必要がある。
こうした国内法には日本の家族観が反映されている。日本では離婚後も片方の親、特に母が子を育てるべきだとの考えが強い。民法は離婚後の親権は片方の親が持つ「単独親権」と規定している。欧米は違う。離婚後も両親が親権を持つ「共同親権」だ。外務省によると、米国が批判したブラジルやアルゼンチンも「離婚後は母が子を育てるべきだ」との慣習があるという。家族観の違いが条約を巡る対立を生む。
とはいえ「文化の違いだ」と放置はできない。ハーグ条約では子の「連れ去り」は“abduction"と表現するからだ。北朝鮮による日本人拉致問題で使う「拉致」の英訳と同じ単語だ。子の返還が滞れば、欧米は深刻な人権侵害と批判する。外務省関係者は「北朝鮮の拉致問題と全く性質が異なるが、国際社会での日本のイメージが傷つきかねない」と話す。
3月、注目される最高裁判決があった。ハーグ条約に基づく子の返還命令を拒否する母親に、米国在住の父親が引き渡しを求めた上告審だ。父親はハーグ条約の一般的な裁判プロセスと異なる手段をとった。より強制力がある人身保護請求だ。
最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は、子の返還命令に従わない場合は「違法な拘束にあたる」とし、子を父親に引き渡すよう母親に求めた。母親は7月、差し戻し審での上告を断念した。判決に従わなければ、2年以下の懲役や罰金を受ける可能性があった。返還命令を放置すれば重い人身保護請求に発展する先例が生まれた。政府内には「親が返還命令を受け入れる契機になる」との期待がある。
法務省も対応を急ぐ。強制執行の際に、連れ去った親がその場にいなければ子を取り戻せない規定を変える方針だ。申し立てをした親や代理人がいれば子を保護できる制度を検討する。連れ去った親が自宅以外に子をかくまい、連れ戻しに同意しないよう頼んだ場合も同様の措置をとれる。法制審議会(法相の諮問機関)で詰め、19年にも国内法を改正する予定だ。
上川陽子法相は離婚後に父母共に親権が残る「共同親権」の導入を検討することも表明した。グローバル化に伴い、昔からの日本の家族観も再考が迫られている。(地曳航也、白岩ひおな)
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