両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和2年10月19日、Yahoo!ニュース

子どもの前で別居親の悪口は控えて――別居親を拒絶する「片親疎外」から子どもを守るには

日本では毎年約20万組が離婚し、そのうちの約6割に未成年の子どもがいる。別れた後の夫婦間のトラブルが、子どもの心身の発達に影響することも少なくない。離婚後の親子問題の一つに、「片親疎外」と呼ばれるものがある。子どもが同居親の影響を受けて、別居親を激しく拒絶する状態のことだ。かつて片親疎外になったとみられるきょうだいと母親に話を聞き、実態を探った。(取材・文:上條まゆみ/撮影:長谷川美祈/Yahoo!ニュース 特集編集部)

突然、両親が離婚

神奈川県に住む斉藤浩太さん(仮名、25歳)は、9歳のとき、両親の離婚を経験した。
浩太さんの記憶はこうだ。ある朝突然、父親の号令で、家族全員が食卓に集められた。その席で父親から、「パパとママは離婚します。ママがこの家から出ていきます」と宣言された。離婚の意味ははっきりとはわからなかったが、母親がいなくなることだけは理解した。

「母親が出ていってすぐに父方のおばあちゃんが来てくれて、家事をやってくれたし、きょうだい3人いたから特に寂しいということはなかった。数カ月も経たないうちに父親が女性を連れてきて、その人には子どもが3人いたから、家の中に子どもが6人。合宿みたいでにぎやかで、それなりに楽しく過ごしていたような気がします」

出ていった母親とは月に一度、12時間を一緒に過ごした。妹と弟も一緒で、公園に行ったり、テーマパークに行ったり。2年間は順調に面会交流が続いた。ところが、ある日を境に母親と会えなくなった。

「それから約2年間、母親とは没交渉でした。父親が母親のことを『嘘つきで浮気者』と言っていたし、僕らは捨てられたと思っていました。そのころは母親のことがはっきりと嫌いでしたね」

しかし、会えなくなる前は、月に一度の面会交流は嫌ではなかった。浩太さんに「お母さんとはなぜ突然、会えなくなったんですか」と聞くと、「よく覚えていないんです」と答えた。

浩太さんが母親と会えなくなったとき、妹の秋穂さん(仮名、22歳)は8歳だった。じつはその日、面会を禁止されたのは浩太さんだけだった。宿題をサボったことで、父親が罰として浩太さんを面会に行かせなかったのだ。

弟と2人で母親に会った秋穂さんは、母親から兄宛ての手紙を託された。母親は「(父親に)内緒で渡せたら、渡してね」と言った。秋穂さんは、父親に内緒でその手紙を兄に渡した。しかし、その手紙の存在が父親にばれた。

父親はすぐに母親に電話をして、「子どもに嘘をつかせるような母親には、今後一切、面会させることはできません」と宣告した。母親は思わず「私が嘘をつかせたわけではない」と反論した。

父親は秋穂さんに向かって、「ママがお前を嘘つきだと言ってるぞ」と言った。秋穂さんは「そんなママなら会わなくていい」と答えた。

「その事件の少し前に、父親に『会っているとき、ママはずっと携帯をいじっている』と言ったことがあるんです。特に悪気はありませんでした。そのとき、父親と新しいお母さんが、『母親の弱みを見つけた』とばかりに喜んじゃって。その姿を見て、私もうれしかったんです。新しいお母さんは躾にとても厳しくて、私はいつも叱られていました。それがこのときは褒められた。だから、手紙のときも『母親に会いたくない』と言えば、父親と新しいお母さんに褒められると思ったんです。それ以来、母親に会いたいとは全く思わなくなりました」

この“事件”を境に、秋穂さんも弟も、母親に会わなくなった。

片親疎外」とは

父母が離婚したあと、子どもが同居親の思いと病的に同一化し、虐待を受けていたなどの大きな理由がないのに別居親を拒絶する状態は、「片親疎外」と言われている。臨床心理士で大正大学教授の青木聡さんによると、「片親疎外」となる子どもの年齢は9歳(小学3年生)から15歳(中学3年生)がほとんどだという。

青木教授は、浩太さんと秋穂さんのケースについて、「軽度の『片親疎外』とみられます」と指摘する。

「ほんの数カ月前までは親のことを大好きだった子どもが、離婚後に、別居親に対して強い拒絶反応を示すようになるんです」

拒否する程度は子どもによってさまざまだ。ただ「嫌い」「会いたくない」という場合もあれば、激しく攻撃的になる場合もある。なぜそのような心理状態におちいるのだろうか。

「これまでの研究でわかっているのは、主に同居親が別居親の悪口を聞かせたり、別居親の話題を禁止したり、別居親と交流するときに悪意のある伝言を届けさせたり……といったように、子どもが相手を嫌いになるように仕向けるのが原因だと言われています」

「ただし、同居親に悪意がないケースもあります。いけないとわかっていてもついついやってしまう方、子ども相手に無意識に愚痴を言ってしまう方もいます。また、子どもの発達段階や性格特性、周囲の大人たち(別居親、祖父母、親族、離婚問題に関与する専門家など)の態度や何気ない一言も、片親疎外の悪化の要因となることがわかっています」

子どもが凶暴化することも

子どもが同調するのに気をよくして別居親の悪口を言っていたら、想像を超えるような攻撃性を見せるようになる例もあるという。

「偶然、まちなかで別居親を見かけただけで、わざわざ走っていって蹴飛ばし、『なんでここにいるんだ、ストーカーか、警察を呼ぶぞ』と騒いだ子どももいました。同居親も、『まさか子どもがここまでに(攻撃的に)なるとは思っていなかった』と」

「殺す」「死ね」などと書き連ねた手紙やメールを、別居親に送った子どももいる。

両親が離婚して不安になっている子どもは、生存を脅かされないために、同居親の歓心を得ようとする傾向にある。そこに別居親への悪口や愚痴が加わる。父母のあいだで板挟みになって苦しむ「忠誠葛藤」とは異なり、洗脳に近い状態だと青木教授は言う。

「『片親疎外』のさなかの子どもの思い込みを解くのはかなり難しいですね。年齢とともに、ものごとを多面的に見られるようになるなど、心理的な成長によって解かれることもあります。ただ、そうなると今度は、なぜ父親を、あるいは母親を、あんなに拒絶したんだろうと後悔して、苦しむ方もいます」

欧米でも片親疎外が問題に

欧米諸国では、1970年代に離婚件数が急増した際、両親の別居後や離婚後に、子どもが同居親の感情と病的に同一化して、別居親を拒絶する事例が多数の心理臨床家によって報告され、「片親疎外」と名づけられて大きな問題になった。

しかし、この「片親疎外」の概念は、監護権や面会交流をめぐる離婚紛争の法廷で濫用されることにもなった。その後、「子どもを離婚紛争の犠牲にしてはならない」という反省のもと、「子どもの最善の利益」(「子どもの権利条約」1989年採択)を中心に据え、離婚後も両親が共同で養育する制度が整備されていった。離婚する際に、子どもの発達や元配偶者と協力して子育てするためのスキルなどを学ぶ親教育プログラムの受講や、養育プランの提出を義務づけている国も少なくない。

毎年、約20万組が離婚する日本でも、片親疎外の被害は出ているが、欧米のような親教育が行われていないと青木教授は指摘する。

片親疎外が子どもに与える影響

片親疎外によって、不登校になる子が少なくない。あるいは、表面的には優等生でも、別居親のことになると目の色が変わったり、SNSの裏アカで暴言を吐いたりするなど、二面性がある場合も多い。

「片方の親を否定することは、自分の半分を自分で黒塗りにしているようなものです。そうすると、アイデンティティーの確立が難しい。寄る辺なさを抱えたり、進路で悩んだりする子が多いと思います」

自己肯定感や基本的信頼感の低さから、対人関係がうまくいきにくかったり、抑うつ傾向や依存傾向が見られたりするなど、その後の人生で生きづらさを抱えてしまうこともある。

「そうなってからでは、専門的な知識がないと対処できません。だからこそ、一次予防を目的とした離婚時の親教育が非常に重要な意味を持つのですが、日本ではそこが全然足りていない。『子どもの前だから相手の悪口は控えよう』というブレーキすらかけていない方が多いですね」

子どもたちの現在

浩太さんと秋穂さんは、現在、母親の良子さん(仮名、48歳)と共に暮らしている。
秋穂さんは、小学6年生のある日、父親と大げんかをして家出をした。

「新しいお母さんは面倒見のよい人だったけど、異常に厳しくて、私は毎日勉強づけでした。あまりに居心地が悪くて、逃げ出したんです」

浩太さんは、家を出ていく妹に「裏切り者」という言葉を投げつけた。
その浩太さんも、2年後、やはり父親とのけんかをきっかけに、母親の元にやってきた。当時をこう振り返る。

「実はそのころ、まだ母親のことは嫌いでした。でもほかに行くところもなかったし、悪い言い方をすれば、利用してやろうという気持ちもありました」

良子さんと暮らし始めた浩太さんは、ことあるごとにキレて罵倒した。

「おまえなんか俺を捨てたくせに!」

良子さんはただひたすら受け止めた。そのうちに、浩太さんの内面に変化が生じた。
「あるとき、母親の涙を見て、『こんなこと言っちゃいけない』と気づきました。母親に悪いというより、その言葉が自分自身を傷つけているような気がしたんです」

そのうち、親が何をしようと、どんな人間だろうと、自分には関係ないことだと思えるようになった。20歳になる前のことだった。

「母親と暮らすなかで、当時の話をいろいろ聞いて、僕らを捨てたわけじゃないことは理解できました。でも、離婚の原因については正直、どっちも悪いだろって思っています。『子どもに会えなくて苦しかった』と言われても、自業自得だろって」

浩太さんは今、建設関連の仕事をしている。社会人6年目、施工主と職人に挟まれて、現場をまわしていかなければいけない。肉体的にも精神的にも疲れる仕事だ。

「たくさんつらいことがあったけど、おかげで強くなれました。なんだかんだ、この両親のもとに生まれてよかったと思っています。もし両親がそろった家でのんびり育っていたら、絶対、心が折れて仕事辞めてますもん」

その横で、秋穂さんもこう言った。
「私はまだ、この環境で育ってよかったとまでは思えない。でも、たしかにメンタルは強くなったかも」

別居親の視点

良子さんは、子どもたちの片親疎外にどのように対応したのだろうか。良子さんの視点で、離婚からここまでの経緯を振り返ってもらった。

父親の号令で家族全員が食卓に集められて離婚が宣言されたとき、良子さん自身も寝耳に水だった。

「いきなりの離婚宣告に衝撃を受けながらも、仕事があるので、とりあえずその日は私も元夫も出勤し、翌日、離婚届を突きつけられました。私が近所の男性と浮気をしていると決めつけてのことでした」

良子さんに不貞行為はなかったが、2人きりで会って話をしたことがあり、それを元夫に目撃されていた。

「男性と2人で話をしていたことイコール不貞だと言われ、私が悪いんだと思ってしまい……。元夫はすぐ手が出る人で恐ろしかったこともあり、子どもにはいつでも会わせるからと言われて、元夫を親権者とする離婚届に判を押してしまったんです。あまりにも無知でした」

その後2年間は、3人の子どもと順調に面会交流ができていた。ところがある日、浩太さんだけが来なかった。良子さんは浩太さん宛ての手紙を書いて、秋穂さんに持たせた。

「私が『内緒で渡せたら、渡してね』と余計なことを言ってしまった。大人にそう言われたら子どもは『内緒にしなきゃ』と思いますよね」

結果として、元夫は激怒し、「今後一切、面会させることはできない」と宣告された。先述の“手紙事件”だ。それ以来、面会交流は途絶えた。

数カ月後、良子さんは親権者変更と面会交流を求めて家庭裁判所に調停を申し立てたが、不首尾に終わった。

良子さんは、同じ経験をした親の集まりに出かけていくようになった。自分から子どもたちに会いに行かなければと思い、小学校や中学校の校門の前や通学路に立ち、姿が見えるのを待った。

秋穂さんは、はじめのうちはそっけなかったが、少しずつわだかまりが解けていった。思春期を迎え、自分の意思が出てきた秋穂さんは、母親とときどき顔を合わせるなかで、やさしいお母さんが好きだったことを思い出した。

良子さんの場合は、苦しみながらもアプローチを続けたことが同居につながった。

青木教授は、離婚時の親教育の重要性を強調する。

片親疎外に当たる事例は本当に難しくて、子どもは傷ついているのに、『傷ついていない』と思ってしまっていることが問題なんです。傷ついていることにあとでしか気づけない。片親疎外を避けられるかどうかは、親の態度にかかっています。絶対に、相手の悪口を子どもに言わないでください。そういう、子どもを守るための基本的な親の態度を学ぶために、離婚時の親教育が必要なのですが、協議離婚(家裁の手続きを経ない離婚)が9割の日本では、ほとんど野放しです。ここを制度として整備していくと同時に、裁判所をはじめ、国や地方自治体の担当者など、離婚後の子育てにかかわる各種専門家は、親子関係に何が起きているのかをより注意深く見ていく必要があると思います」

上條まゆみ(かみじょう・まゆみ)
1966年、東京都生まれ。教育・保育・女性のライフスタイルなど、幅広いテーマでインタビューやルポを手がける。近年は、離婚や再婚、ステップファミリーなど「家族」の問題を追求している。

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